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1980年代前半、国鉄は巨額の赤字を抱えており、鉄道・バスともに合理化が急務でした。
国鉄バスは、鉄道を補完する地方路線と、高速・都市間バスを運行していましたが、
地方路線は赤字、都市間高速バスは黒字という二極化が進行。
1985年ごろから「高速バスに注力、赤字路線を縮小する」方向性が打ち出されます。
分割民営化の決定(1987年4月1日)
国鉄は7つの旅客鉄道会社(JR)に分割され、バス事業も各地域のJRへ継承されました。
このとき、バス部門は「自動車局」から各JRの事業部門として独立。
移行期の課題と変化
会社・ブランドの再編
国鉄バス時代の名称や塗装(クリーム×緑)から、
JRグループ共通の「ブルー基調のジェイアールバス塗装」へ変更。
「JRバス関東」「JRバス東北」など、地域別の新会社として再編されます。
路線の整理
赤字が深刻な地方ローカル路線は自治体や第三セクターに移管、または廃止。
一方で、高速バスはドリーム号(東京〜大阪)や新設の夜行便を軸に拡大。
神奈川バス資料保存会
- 神奈川バス資料保存会を主宰する柿澤仁氏は、古いバスの写真(特に30年以上前)が次々と消えていく現状を知り、何とか写真集の形で多くの人に見て貰えれば、という信念のもと自費出版で写真集の発行を続けています。日本バス友の会は、こうした柿澤氏の考えに賛同し、保存している多くの写真を提供し各種写真集の発行を側面から応援しています。
多くの会員から提供された写真が掲載されています。古いバスの写真を残すため、自費出版を続ける柿澤氏の行動に対し、私たちは書籍の購入という形で支援していきませんか!是非、ご購入下さい。
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トヨタは現在ではバスのイメージがあまり強くありませんが、昭和中期までは中小型バス市場で重要な役割を果たしていたメーカーでした。以下、トヨタのバスの歴史や特徴をまとめます。
戦後~昭和30年代:トラック派生の中型・小型バス
トヨタは戦前からトラックシャーシをベースにしたボンネットバスを製造しており、
戦後も「BM型」「BX型」「DB型」などのボンネットバスを各地の路線で供給しました。
シャーシはトヨタが製造し、ボディは富士重工、川崎車体、金産ボディなどのコーチビルダーが架装するケースが多かった。
主な市場は地方の中小バス事業者や、自治体運行の路線バス、スクールバス。
昭和40~50年代:コースターとマイクロバス市場での成長
1969年に初代トヨタ・コースター(20系)を発売。
中型マイクロバス市場で大ヒットし、学校送迎、企業送迎、観光のミニツアーなどで定番車種に。
コースターは現在まで生産が続き(5代目が現行)、トヨタ唯一の継続的なバスラインとなっています。
大型・中型バスからの撤退
昭和40年代後半以降、大型バス市場ではいすゞ、日野、三菱ふそうが主流となり、トヨタは競争力を失いました。トヨタは大型バスの自社製造をやめ、日野自動車との関係を強化。(2001年に日野を完全子会社化し、大型バスは日野ブランドに集約)
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東京西部の地域密着型大手バス会社
吉祥寺や中野を中心に、通勤・通学・地域輸送を支える存在
長い歴史と独立経営を守りながら、公共交通として重要な役割を担っている
関東バス株式会社東京都を中心に運行する大手の民間バス事業者です。主に中野区・杉並区・武蔵野市・練馬区など、東京23区西部およびその周辺をカバーしています。
運行エリアの特徴は中央線沿線の住宅地と都心を結ぶ路線が充実。吉祥寺駅・中野駅などを起点とした短距離〜中距離路線が多い。高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・中村橋など、地元密着の路線が根強い人気。
バスのカラーリングは赤とベージュのツートンが基本(いわゆる「関東カラー」)。
車両メーカーはいすゞ・日野・三菱ふそうを主に導入。
近年はノンステップバスやハイブリッド車両の導入も進んでいる。
自社で整備・点検を行う高い技術力も持つ。
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日本本土とは逆に、沖縄では長く右側通行が採用されていたため、アメリカと同じ仕様の車両が使われていた。沖縄は第二次世界大戦後、アメリカの軍政下に置かれる。本土と異なり、右側通行&左ハンドル車両が基本に。
公共交通もこの基準に合わせて導入され、多くの左ハンドルバスが運行。
多くは米国製(GMやフリートラインなど)の輸入車両。
または、日本車ベース(いすゞ、日野など)を沖縄向けに左ハンドル仕様で製造。
バスの乗降口も右側にあり、停留所の位置も本土と逆。
沖縄が日本に復帰。1978年7月30日「ナナ・サン・マル」と呼ばれる日に、交通が右側通行から左側通行に変更。左ハンドル車両の多くはこの時に使用終了や構造変更された。
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1930年代:黎明期
三菱重工業がトラックシャシーをベースに木骨バス車体を製作。
この時代は他社シャシーにボデーを載せる「混成」も多く、三菱独自ボデーはまだ少数。
1950年代:国産化と戦後復興
戦後復興期に三菱重工神戸製作所などで、本格的なバス車体の製造を再開。
木骨→スチールボディへの転換が進む。
この頃から自社製バスシャシー+自社製ボデー(いわゆる「オール三菱」)体制が本格化。
1960年代:モノコック時代の幕開け
ふそうB800/B905系モノコックバスを開発(オール三菱)。
三菱車体(現・三菱ふそうバス製造の前身)で車体を一貫製造。
国内各地の公営・民営バス事業者に広く採用される。
1970〜80年代:黄金期
スケルトン構造の**MP系(MP117/MP118/MP618)**が登場し、大ヒット。
観光バスでは**MS系(MS512/MS613/MS725)**などのエアロクイーン・エアロバスシリーズが人気。
車体デザインは角ばった直線的なスタイルから、流線型へと変化。
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1948年〜1995年:大型バス用車体のOEM製造を開始し、地方路線/観光バス向けに高品質なモノコック構造の車体を展開 。
顧客には新潟交通・神奈川中央交通などがあり、いすゞシャシーを中心に東北・信越・首都圏で広く採用された。
しかし、1980年代後半のスケルトン構造競争に遅れ、1988年には大型バスから撤退、中型・小型車に限定。1995年にバスボディ事業をいすゞバス製造に譲渡し、以降は完全撤退
北村製作所は現在、以下のようなトラック車体や特装車の架装メーカーとして展開中です
アルミバン/カラーアルミバン:通常型に加え、広告用カラー外装タイプも展開
冷凍車/保冷車/ベンチレーションバン
ボトルカー、給食配送車、リフトゲート付き車(パワーゲート)など
約1,500種のオプションに対応した個別受注生産モデル
全国規模でメンテナンス体制も整備
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「ニッコクボデー」とは、日本の日国ボデー株式会社(Nikkoku Body Co., Ltd.)のことで、主にバスやトラックなどの車両の車体(ボディ)を製造・架装するメーカーです。
バス車体の製造:観光バスや送迎バス、コミュニティバスなどのボディ製造で知られています。
トラック架装:冷凍車や特殊車両の荷台部分の製作・架装も行っています。
OEM生産:いすゞ自動車や日野自動車など大手メーカーのバスやトラックの車体を受託製造していたこともあります。
地域密着型:長野県や山梨県など、甲信地域での車両架装や修理にも強みを持っています。
歴史的背景:
「日国ボデー」という名前は、「日本国際車体」や「日本国」の略とされ、戦後の自動車産業の発展期に設立された中堅ボデーメーカーの一つです。
製品例(バス関連):
自社設計のマイクロバス(トヨタ・コースターや日産・シビリアンなどのベース車を使用)
幼稚園バス、送迎バス
福祉車両
コミュニティバス(自治体用の特注デザイン)
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鉄道母体のバスらしく、電車カラーを彷彿とさせる落ち着いた配色。フロントの「近江鉄道」または「近江バス」の社名書体も独特で、“地元感”と“クラシック感”が絶妙に同居していた。三菱ふそう、いすゞ、日野、富士重などさまざまなメーカーの車両が在籍。一部の路線では、旧型車を長く使い続けていたため、昭和感あふれる車両が2000年代初頭まで活躍。「ワンマンバス」と記されたレトロなサボや行先幕も味わい深かった。滋賀県内の主要都市(大津・彦根・長浜・八日市など)を中心に、鉄道駅と生活圏を結ぶ公共交通の柱として活躍。特に農村部や山間地では「唯一の交通手段」として人々の通勤・通学・買い物を支えた“生活の一部”だった。
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鉄道が引けなかった山間部や農村、離島の玄関口などにバス路線を展開。新幹線や高速道路が整備される以前は、都市間の移動も国鉄バスの仕事。一部は「昼行・夜行」の長距離運行も。「〇〇特急バス」や「幹線バス」の名前で親しまれた。例:長野県の飯田線山間部、北海道の過疎地など。「鉄道に乗せるためのバス」「鉄道の代わりのバス」という性格が強かった。国鉄の駅にバス営業所や自動車駅を併設。きっぷの連絡運輸(バス+鉄道一枚)も可。駅舎にバスの発券カウンターがあったり、バスと鉄道の一体運用がなされていた。赤とクリームのツートンカラーが有名(→後のJRバスにも継承)。
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戦後の高度経済成長期の「復興と都市化のはざま」。この時代、小田急バスをはじめ多くのバス事業者がいすゞBX系などのボンネットバスを運行していました。焼け野原からの復興が進み、郊外の住宅地と都市を結ぶバス需要が急増。小田急線沿線では、成城学園前や狛江などの住宅地開発が進行中。まだ自家用車が普及していない時代、生活の足としてボンネットバスが大活躍!当時のボンネットバスはいすゞBX系や日野BD系など。長いボンネットと丸みを帯びた車体が親しみやすく、どこかのどかな雰囲気を醸し出していました。運転手と乗客の距離が近く、「顔が見える交通」だったともいえます。
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